《大學》是一篇論述儒家修身齊家治國平天下思想的散文,原是《小戴禮記》第四十二篇,相傳為春秋戰國時期曾子所作,實為秦漢時儒家作品,是一部中國古代討論教育理論的重要著作。經北宋程顥、程頤竭力尊崇,南宋朱熹又作《大學章句》,最終和《中庸》《論語》《, 以下是為大家整理的關于日語系大學排名2篇 , 供大家參考選擇。
日語系大學排名2篇
第1篇: 日語系大學排名
現代日本の開化(P140~P142) ー明治44年8月和歌山において述ー
それでは子供が背(せな)に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を盡して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虛の譏(そしり)を免(まぬ)かれるように、誰が見ても內発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥(おちい)るのであります。百年の経験を十年で上滑(うわすべ)りもせずやりとげようとするならば年限が十分一に縮(ちぢ)まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさえ容易(たやす)く首肯するところである。これは學問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛(なまかじ)りにして法螺(ほら)を吹くのは論外として、本當に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫(ごう)も流行を追うの陋態(ろうたい)なく、またことさらに新奇を衒(てら)うの虛栄心なく、全く自然の順序階級を內発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到著し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育の力で達したと仮定する。體力脳力共に吾らよりも旺盛(おうせい)な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定(かんじょう)に入れないにしたところでわずかその半(なかば)に足らぬ歳月で明々地に通過し了(おわ)るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起(た)つ能(あた)わざるの神経衰弱に罹(かか)って、気息奄々(きそくえんえん)として今や路傍に呻吟(しんぎん)しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。現に少し落ちついて考えてみると、大學の教授を十年間一生懸命にやったら、たいていの者は神経衰弱に罹(かか)りがちじゃないでしょうか。ピンピンしているのは、皆噓(うそ)の學者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば神経衰弱に罹る方が當り前のように思われます。學者を例に引いたのは単に分りやすいためで、理窟(りくつ)は開化のどの方面へも応用ができるつもりです。 すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜(たまもの)として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競爭その他からいらいらしなければならない心配を勘定(かんじょう)に入れると、吾人の幸福は野蠻時代とそう変りはなさそうである事は前(ぜん)御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の狀況に因(よ)って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮(うわかわ)を滑って行き、また滑るまいと思って踏張(ふんば)るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐(あわ)れと言わんか、誠に言語道斷の窮狀に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない。どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。こんな結論にはかえって到著しない方が幸であったのでしょう。真と云うものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方がよかったと思う事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が內縁の妻に厭気(いやき)がさしたところから、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま友人の家へ行って隠れていたという話があります。すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在(ありか)を捜し當てて怒鳴(どな)り込(こ)みましたので男は手切金を出して手を切る談判を始めると、女はその金を床(ゆか)の上に叩(たた)きつけて、こんなものが欲しいので來たのではない、もし本當にあなたが私を捨てる気ならば私は死んでしまう、そこにある(三階か四階の)窓から飛下りて死んでしまうと言った。男は平気な顔を裝ってどうぞと云わぬばかりに女を窓の方へ誘う所作(しょさ)をした。すると女はいきなり馳(か)けて行って窓から飛下りた。死にはしなかったが生れもつかぬ不具になってしまいました。男もこれほど女の赤心が眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女同様の観をなして、女の貞節を今まで疑っていたのを後悔したものと見えて、再びもとの夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委(ゆだ)ねたというのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めておけばこれほどの大事には至らなかったかも知れないが、そうすれば彼の懐疑は一生徹底的に解ける日は來なかったでしょう。またここまで押してみれば女の真心(まごころ)が明かになるにはなるが、取返しのつかない殘酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やはり真実懸価(かけね)のない実相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本當のところだとすれば我々は日本の將來というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外國人に対して乃公(おれ)の國には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦爭以後一等國になったんだという高慢な聲は隨所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前(ぜん)申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹(かか)らない程度において、內発的に変化して行くが好かろうというような體裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。苦(にが)い真実を臆面(おくめん)なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を與えたのは重々御詫(おわび)を申し上げますが、また私の述べ來(きた)ったところもまた相當の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目(きまじめ)の意見であるという點にも御同情になって悪いところは大目に見ていただきたいのであります。
筆者紹介
夏目漱石(1867~1916)
日本の小説家、評論家、英文學者。大學時代に正岡子規と出會い、俳句を學ぶ。帝國大學英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中學教師、熊本で五高教授などを務めた後、イギリスへ留學。帰國後、東京帝大講師として英文學を講じながら、「吾輩は貓である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。當初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。
言葉と表現
1、~たところで
接続:動た形+ところで
説明:即便。以不起作用或毫無結果的事情為前提,表示假定的轉折條件。
例文:どんなに本をたくさん買ったところで、読まなければなんにもならない。
即使買多少書,不看也沒用。
いまさら嘆いてみたところで始まらない
即使現在慨嘆也沒用。
2、~とか~とか
説明:表示列舉。
例文:フィリピンとかベトナムとかの東南アジアの國々はほとんど戦後獨立した
菲律賓啦、越南等,東南亞各國戰后幾乎都獨立了。
いいとか悪いとか,みんなちがったことを言っている。
大家說法不一,有說好的,有說壞的。
3、~たりとも
接続:名+たりとも
説明:表示強調,強調很小,很少,很弱。“就連……也不能”
例文:ひとりたりとも通すわけにはいかない。
就是一個人也不能讓通過。
複雑な句
1、それでは子供が背に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を盡して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。
分析:
主節:それでは子供が進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。
主語 述語
従屬節:背に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を盡して進む事 連體修飾語
2、體力脳力共に吾らよりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の
連體修飾語 主語
困難を勘定に入れないにしたところでわずかその半に足らぬ歳月で明々地に通過し了る
條件 述語
としたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能わざる
主語
の神経衰弱に罹って、気息奄々として今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果としてまさ
述語
に起るべき現象でありましょう。
3、どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であり
述語 連體修飾語 主語
ます。
譯文:
那么,孩子們也許會提出,像是和背負著這些的大人們一起前進一樣停止模仿,穩健的,按照順序地前進是不是怎么也做不到呢?如果他們提出這樣的意見,我會回答這樣也不是做不到。但是,西方國家花了百年的時間才有了現在的開化,日本人卻縮短簡化到了十年時間,雖然未免產生無謂的誹謗,日本人無論見了誰都說這是自然發生的,但是仍然產生了嚴重的后果。百年的經驗用十年連皮毛都做不到,想要做的好只用年限的十分之一卻比他們增加十倍的活力,恐怕是最初步的算術也能簡單算出這是不可能的吧。以學問為例來說就簡單明了了吧。對西方的新學說一知半解就吹噓不已就不值得一提了,假設自己真正累積研究時,把甲說變化到乙說又發展成丙說,絲毫沒有追求流行的陋態,也沒有故意炫耀新奇的虛榮心,完全是按照自然階段,自然發展,那么他們西方人花費了百年的時間終于到達的分工的頂點我們在明治維新后的四五十年的教育力就能達到。體力和腦力都比我們更強的西方人也花了百年的時間,即使我們不考慮先驅者們怎樣的困難,如果只花了這個一半都不到的時間就通過了這條光明的路,那在我們自豪于獲得了這值得驚訝的知識的同時,就會患上了不能承受一點失敗的神經衰弱,奄奄一息地在路邊呻吟也是必然的結果吧。現在冷靜的想想,大學的教授十年間不斷地努力著,也會容易患上神經衰弱不是嗎。就算活蹦亂跳的時候,學者也會有語病,無論從哪方面來說,患上神經衰弱也被認為是合理的。引用學者的例子不僅僅是為了容易理解,理由是在開化的各個方面都能應用。
無論開化怎么進步,對于得到意外的恩賜我們還是不能安心,把因為競爭而產生無法抑制的急躁的擔心考慮在內,根據前面的話來看我們的幸福和野蠻時代好像沒什么變化,根據現在日本的特殊狀況,我們的開化是不得已的機械性的變化,只是在表面上進行的,如果為了不失敗而在堅持著這樣,因而得了神經衰弱,日本人會說很可憐還是說悲哀呢,真是陷入了荒謬絕倫的窘境。我的結論也是這樣。這樣做,不得不這樣做。只能嘆息怎么也做不了,事實上很困擾,得到的極其悲觀的結論。這樣的結論下不能達到反而是幸運吧。所謂真就是不知道時想知道,知道了反而覺得還是不知道的好,這樣的事情常常會有。莫泊桑的小說里,男主角對自己的女友(姘頭)感到厭煩,便條什么的都沒有留下就拋下女友去朋友家藏了起來。女友非常生氣終于找到男方的所在區大吵大鬧,男方法拿出分手金要求分手,談判時,女友把這錢摔在地板上,說:“這不是我要的東西,你要是拋棄我我就去死,從這里的窗子里跳出去死了算了。”男人裝著平靜的說“隨你。”于是那女友就突然跑到窗邊跳了下去。雖然沒有死,但是也殘廢了。男人看到了女友一片赤誠之心,知道了她不是一般的輕浮的妓女,對于懷疑他的貞潔非常后悔,再次和他結為了夫妻,照顧有病的妻子。如果男人沒有這么多疑到這種程度的話,是不是會造成這樣的嚴重后果也不知道。但如果這樣的話,那他的懷疑一輩子也不會徹底解開吧。現在妻子的真心是知道了,但是造成了再也不能恢復的后果,試著回想,還是不知道這沒有真正價值的真相來得好,妻子也就不會殘疾了。日本人的現代開化也是這樣的,不知道的時候才試著研究,現在完全知道了這個性質反而不知道從前才有幸福。總之,如果我分析的事是真的話,那么我們日本的將來會變得悲觀。對于外國人來說,我國就是富士山,這樣的缺乏常識的人已經不多了。戰爭以后我國變為了一等國,這樣的傲慢的聲音隨處可以聽到。要以輕松地立場來看。但是怎么擺脫這樣的困境呢,根據前面說的,我也沒有好辦法。能做的只是不要患上神經衰弱,根據程度進行自然地變化的體裁,此外也沒有什么好辦法。在不對痛苦的事實感到害臊的各位面前暴露出來,使幸福的各位即使一個小時感到不愉快,我再次再三抱歉。對我說的從相當的證據和我思索出來的結果中得出的一本正經的意見能認同我,不對的地方希望大家能夠多多包涵。
まとめ
この部分に、作者は開化がじみちに発展の順序を盡し進むなければならないという観點を表す。現代日本の開化は機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になると、到著しない方が幸であるという現代日本開化の哀れを表す。
第2篇: 日語系大學排名
畢題目:學院:專業:畢業年限:學生姓名:學號:指導教師:
業論文
紫式部の一生と『源氏物語』との繋がり外國語學院日語2013陳海燕200952040101孟慶利
摘要
《源氏物語》是遙遠的平安時代光源氏的物語,被譽為日本物語文學的最高杰作,千百年來,它經久不衰,至今仍令世人為之著迷。這部長篇小說講述了容貌靚麗、多才多藝、富有愛心的男主人公光源氏與行行色色的女子間的純愛、悲戀、以及禁斷之戀。作者是大家熟知的紫式部。小說每頁400字的稿紙用了2300張,出場人物超過400人,這部宏大的物語是如何誕生的呢?其實,作者紫式部她將自己的人生投影在這部小說中。與擁有妻兒的中年貴族之戀,加之深愛的丈夫突然死去,紫式部以自身的經歷為藍本,寫下了人們的悲喜情愁。這部充滿現實意味的物語引人共鳴,令人沉醉,為人稱頌。注意到這部小說的是有權勢的貴族藤原道長,當時,為了在宮中激烈的權力斗爭中取勝,道長需要借助紫式部的力量。《源氏物語》與紫式部的才能和崎嶇命運以及道長的政治戰略奇跡般地聯系在一起最終橫空出世了。本文分為兩大章,將結合《紫式部日記》、
《紫式部集》以及瀨戶內寂聽譯《源氏物語》等來探究《源氏物語》的誕生與作者生平、內心世界的聯系。
第一章,結合紫式部的人生經歷,童年時期家庭生活狀況,青年時期與陌生男子的“一夜邂逅”,不幸婚姻帶給她的打擊等,探索紫式部的內心世界與后來創作《源氏物語》之間的必然聯系。
第二章,將《源氏物語》中的《夕顏卷》、《帚木卷》和《繪和卷》與《紫式部日記》、《紫式部集》等的記述相聯系。紫式部借光源氏,空蟬、六條御息所等人物形象表達個人情懷,又遇藤原道長,使得《源氏物語》這部巨著得以橫空出世。
關鍵詞:紫式部源氏物語光源氏關聯
要旨
『源氏物語』は遙かな平安時代の光源氏の物語で、日本文學史上最高な傑作である。千百年を経っても、衰えない。今なお人々を魅了しつづけているのである。『源氏物語』では、男主人公の博愛の光源氏は顔が美しくて、才能も多くて様々な女性たちと純愛や悲戀,禁斷の戀などを繰り広げる長編小説である。作者はご存知の紫式部である。400字の原稿用紙およそ2300枚を用い、登場人物400人も超える壯大な物語はどのようにして生まれたのか。実は紫式部は自らの人生を物語に反映させていたのである。紫式部は、妻子ある中年貴族との戀や愛する夫の突然の死などの自らの経験を種本として、人間の悲しみや喜びを書き続いていく。誰もが共感するそのリアルな物語は人々を魅了し、評判となる。有力貴族の藤原道長は當時宮中での熾烈な権力爭いに打ち勝つために、紫式部の力が必要なので、『源氏物語』に目を付けた。『源氏物語』は紫式部の才能と數奇な運命、それに藤原道長の政治戦略が奇跡的に結びつくからこそ世に出るのである。本文は二章に分けて、『紫式部日記』や『紫式部集』、そして瀬戸內寂聴訳の『源氏物語』などを通じて、『源氏物語』の誕生と作者の一生や內心世界との連絡を検討してみる。
第一章では紫式部の人生経験を見て、幼尐期の家庭生活からの影響、青年期で知らない男との「一夜限りの逢瀬」、そして、不幸な婚姻も紫式部に大きなショックを與えた。それらから見ると、紫式部の內心世界と『源氏物語』の生まれの間に必然の関連があるかもしれないのではないか。
第二章では『源氏物語』の『夕顔巻』、『帚木巻』、『絵合巻』と『紫式部日記』、及び『紫式部集』の記述を比較してみる。紫式部は光源氏、空蟬、六條御息所などの人物を通して自分の気持ちを表す。その後、藤原道長との知り合いで、『源氏物語』は世に出るのである。
キ―ワ―ド:源氏物語紫式部光源氏関連




