以下是為大家整理的關于情書日文版4篇 , 供大家參考選擇。
情書日文版4篇
【篇1】情書日文版
白雪姫
むかしむかし、冬のさなかのことでした。雪が、鳥の羽のように、ヒラヒラと天からふっていましたときに、ひとりのさまが、こくたんのわくのはまったのところにすわって、ぬいものをしておいでになりました。女王さまは、ぬいものをしながら、雪をながめておいでになりましたが、チクリとゆびをでおさしになりました。すると、雪のつもった中に、ポタポタポタと三のがおちました。まっ白い雪の中で、そのまっ赤なの色が、たいへんきれいに見えたものですから、女王さまはひとりで、こんなことをお考えになりました。「どうかして、わたしは、雪のようにからだが白く、血のように赤いうつくしいほっぺたをもち、このこくたんのわくのように黒いをした子がほしいものだ。」と。 それから、すこしたちまして、女王さまは、ひとりのおさまをおうみになりましたが、そのお姫さまは色が雪のように白く、ほおは血のように赤く、髪の毛はこくたんのように黒くつやがありました。それで、名もとおつけになりました。けれども、女王さまは、このお姫さまがおうまれになりますと、すぐおなくなりになりました。 一年以上たちますと、王さまはあとがわりの女王さまをおもらいになりました。その女王さまはうつくしいかたでしたが、たいへんうぬぼれが強く、わがままなかたで、じぶんよりもほかの人がすこしでもうつくしいと、じっとしてはいられないかたでありました。ところが、この女王さまは、まえから一つのふしぎなを持っておいでになりました。その鏡をごらんになるときは、いつでも、こうおっしゃるのでした。
「や、鏡、にかかっている鏡よ。 國じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
すると、鏡はいつもこう答えていました。
「女王さま、あなたこそ、お國でいちばんうつくしい。」
それをきいて、女王さまはご安心なさるのでした。というのは、この鏡は、うそをいわないということを、女王さまは、よく知っていられたからです。 そのうちに、は、大きくなるにつれて、だんだんうつくしくなってきました。お姫さまが、ちょうど七つになられたときには、青々と晴れた日のように、うつくしくなって、女王さまよりも、ずっとうつくしくなりました。ある日、女王さまは、鏡の前にいって、おたずねになりました。
「鏡や、鏡、壁にかかっている鏡よ。 國じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
すると、鏡は答えていいました。
「さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。 けれども、は、千ばいもうつくしい。」
女王さまは、このことをおききになると、びっくりして、ねたましくなって、顔色を黃いろくしたり、青くしたりなさいました。 さて、それからというものは、女王さまは、白雪姫をごらんになるたびごとに、ひどくいじめるようになりました。そして、ねたみと、こうまんとが、野原の草がいっぱいはびこるように、女王さまの、心の中にだんだんとはびこってきましたので、いまでは夜もひるも、もうじっとしてはいられなくなりました。 そこで、女王さまは、ひとりのかりうどをじぶんのところにおよびになって、こういいつけられました。「あの子を、森の中につれていっておくれ。わたしは、もうあの子を、二どと見たくないんだから。だが、おまえはあの子をころして、そのしょうこに、あの子のを、このハンケチにつけてこなければなりません。」 かりうどは、そのおおせにしたがって、を森の中へつれていきました。かりうどが、りにつかうをぬいて、なにも知らない白雪姫のをつきさそうとしますと、お姫さまは泣いて、おっしゃいました。「ああ、かりうどさん、わたしを助けてちょうだい。そのかわり、わたしは森のおくの方にはいっていって、もう家にはけっしてかえらないから。」 これをきくと、かりうども、お姫さまがあまりにうつくしかったので、かわいそうになってしまって、「じゃあ、はやくおにげなさい。かわいそうなお子さまだ。」といいました。「きっと、けものが、すぐでてきて、くいころしてしまうだろう。」と、心のうちで思いましたが、お姫さまをころさないですんだので、胸の上からおもい石でもとれたように、らくな気もちになりました。ちょうどそのとき、イノシシの子が、むこうからとびだしてきましたので、かりうどはそれをころして、そのをハンケチにつけて、お姫さまをころしたしょうこに、女王さまのところに持っていきました。女王さまは、それをごらんになって、すっかり安心して、白雪姫は死んだものと思っていました。 さて、かわいそうなお姫さまは、大きな森の中で、たったひとりぼっちになってしまって、こわくってたまらず、いろいろな木の葉っぱを見ても、どうしてよいのか、わからないくらいでした。お姫さまは、とにかくかけだして、とがった石の上をとびこえたり、イバラの中をつきぬけたりして、森のおくの方へとすすんでいきました。ところが、けだものはそばをかけすぎますけれども、すこしもお姫さまをきずつけようとはしませんでした。白雪姫は、足のつづくかぎり走りつづけて、とうとうゆうがたになるころに、一の小さなを見つけましたので、つかれを休めようと思って、その中にはいりました。その家の中にあるものは、なんでもみんな小さいものばかりでしたが、なんともいいようがないくらいりっぱで、きよらかでした。 そのへやのまん中には、ひとつの白いをかけたテーブルがあって、その上には、七つの小さなおがあって、またその一つ一つには、さじに、ナイフに、フォークがつけてあって、なおそのほかに、七つの小さなおさかずきがおいてありました。そして、またぎわのところには、七つの小さなどこが、すこしあいだをおいて、じゅんじゅんにならんで、その上には、みんな雪のように白いのがしいてありました。 白雪姫は、たいへんおなかがすいて、おまけにのどもかわいていましたから、一つ一つのおから、すこしずつやさいのスープとパンをたべ、それから、一つ一つのおさかずきから、一ずつブドウをのみました。それは、一つところのを、みんなたべてしまうのは、わるいと思ったからでした。それが、すんでしまうと、こんどは、たいへんつかれていましたから、ねようと思って、一つの寢どこにはいってみました。けれども、どれもこれもちょうどうまくからだにあいませんでした。長すぎたり、短すぎたりしましたが、いちばんおしまいに、七ばんめの寢どこが、やっとからだにあいました。それで、その寢どこにはいって、神さまにおいのりをして、そのままグッスリねむってしまいました。 日がくれて、あたりがまっくらになったときに、この小さな家の主人たちがかえってきました。その主人たちというのは、七人のでありました。この小人たちは、毎日、山の中にはいりこんで、金やのはいった石をさがして、よりわけたり、ほりだしたりするのが、しごとでありました。はじぶんたちの七つのランプに火をつけました。すると、家の中がパッとあかるくなりますと、だれかが、その中にいるということがわかりました。それは、小人たちが家をでかけたときのように、いろいろのものが、ちゃんとおいてなかったからでした。第一の小人が、まず口をひらいて、いいました。「だれか、わしのいすにをかけた者があるぞ。」 すると、第二の小人がいいました。「だれか、わしのおのものをすこしたべた者があるぞ。」 第三の小人がいいました。「だれか、わしのパンをちぎった者があるぞ。」 第四の小人がいいました。「だれか、わしのやさいをたべた者があるぞ。」 第五の小人がいいました。「だれかわしのフォークを使った者があるぞ。」 第六のがいいました。「だれか、わしのナイフで切った者があるぞ。」 第七の小人がいいました。「だれか、わしのさかずきでのんだ者があるぞ。」 それから、第一の小人が、ほうぼうを見まわしますと、じぶんのどこが、くぼんでいるのを見つけて、聲をたてました。「だれが、わしの寢どこにはいりこんだのだ。」 すると、ほかのたちがどこへかけつけてきて、さわぎだしました。「わしの寢どこにも、だれかがねたぞ。」 けれども、第七ばんめの小人は、じぶんの寢どこへいってみると、その中に、はいってねむっている白雪姫を見つけました。こんどは、第七ばんめの小人が、みんなをよびますと、みんなは、なにがおこったのかと思ってかけよってきて、びっくりして聲をたてながら七つのランプを持ってきて白雪姫をてらしました。「おやおやおやおや、なんて、この子は、きれいなんだろう。」と、はさけびました。それから小人たちは、大よろこびで、をおこさないで、どこの中に、そのままソッとねさせておきました。そして、七ばんめの小人は、一時間ずつほかの小人の寢どこにねるようにして、その夜をあかしました。 朝になって、白雪姫は目をさまして、七人の小人を見て、おどろきました。けれども、小人たちは、たいへんしんせつにしてくれて、「おまえさんの名まえはなんというのかな。」とたずねました。すると、「わたしの名まえは、白雪姫というのです。」と、お姫さまは答えました。「おまえさんは、どうして、わたしたちのにはいってきたのかね。」と、小人たちはききました。そこで、お姫さまは、まま母が、じぶんをころそうとしたのを、かりうどが、そっと助けてくれたので、一日じゅう、かけずりまわって、やっと、この家を見つけたことを、小人たちに話しました。その話をきいて、小人たちは、「もしも、おまえさんが、わしたちの家の中のしごとをちゃんと引きうけて、にたきもすれば、おとこものべるし、せんたくも、ぬいものも、あみものも、きちんときれいにする気があれば、わしたちは、おまえさんをにおいてあげて、なんにもふそくのないようにしてあげるんだが。」といいました。「どうぞ、おねがいします。」と、お姫さまはたのみました。それからは、は、の家にいることになりました。 白雪姫は、小人の家のしごとを、きちんとやります。小人の方では毎朝、山にはいりこんで、金やのはいった石をさがし、夜になると、家にかえってくるのでした。そのときまでに、ごはんのしたくをしておかねばなりませんでした。ですから、ひるまは白雪姫は、たったひとりでるすをしなければなりませんので、しんせつな小人たちは、こんなことをいいました。「おまえさんのまま母さんに用心なさいよ。おまえさんが、ここにいることを、すぐ知るにちがいない。だから、だれも、この家の中にいれてはいけないよ。」 こんなことはすこしも知らない女王さまは、かりうどが白雪姫をころしてしまったものだと思って、じぶんが、また第一のうつくしい女になったと安心していましたので、あるときの前にいって、いいました。
「鏡や、鏡、にかかっている鏡よ。 國じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
すると、鏡が答えました。
「さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。 けれども、いくつも山こした、 七人の小人の家にいるは、 まだ千ばいもうつくしい。」
これをきいたときの、女王さまのおどろきようといったらありませんでした。この鏡は、けっしてまちがったことをいわない、ということを知っていましたので、かりうどが、じぶんをだましたということも、白雪姫が、まだ生きているということも、みんなわかってしまいました。そこで、どうにかして、白雪姫をころしてしまいたいものだと思いまして、またあたらしく、いろいろと考えはじめました。女王さまは、國じゅうでじぶんがいちばんうつくしい女にならないうちは、ねたましくて、どうしても、安心していられないからでありました。 そこで、女王さまは、おしまいになにか一つのを考えだしました。そしてじぶんの顔を黒くぬって、年よりののようなをきて、だれにも女王さまとは思えないようになってしまいました。こんなふうをして、七つの山をこえて、七人のの家にいって、戸をトントンとたたいて、いいました。「よいがありますが、お買いになりませんか。」 白雪姫はなにかと思って、から首をだしてよびました。「こんにちは、おかみさん、なにがあるの。」「な品で、きれいな品を持ってきました。いろいろかわったしめひもがあります。」といって、いろいろな色のであんだひもを、一つ取りだしました。白雪姫は、「このそうなおかみさんなら、家の中にいれてもかまわないだろう。」と思いまして、戸をあけて、きれいなしめひもを買いとりました。「おじょうさんには、よくにあうことでしょう。さあ、わたしがひとつよくむすんであげましょう。」と、年よりのはいいました。 白雪姫は、すこしもうたがう気がありませんから、そのおかみさんの前に立って、あたらしい買いたてのひもでむすばせました。すると、そのばあさんは、すばやく、そのしめひもを白雪姫の首をまきつけて、強くしめましたので、息ができなくなって、死んだようにたおれてしまいました。「さあ、これで、わたしが、いちばんうつくしい女になったのだ。」といって、まま母はいそいで、でていってしまいました。 それからまもなく、日がくれて、七人のたちが、家にかえってきましたが、かわいがっていた白雪姫が、地べたの上にたおれているのを見たときには、小人たちのおどろきようといったらありませんでした。白雪姫は、まるで死人のように、息もしなければ、動きもしませんでした。みんなで白雪姫を地べたから高いところにつれていきました。そして、のどのところが、かたくしめつけられているのを見て、小人たちは、しめひもを二つに切ってしまいました。すると、すこし息をしはじめて、だんだん元気づいてきました。小人たちは、どんなことがあったのかをききますと、姫はきょうあった、いっさいのことを話しました。「そのりの女こそ、のような女王にちがいない。よく気をつけなさいよ。わたしたちがそばにいないときには、どんな人だって、家にいれないようにするんですよ。」と。 わるい女王の方では、家にかえってくると、すぐの前にいって、たずねました。
「鏡や、鏡、にかかっている鏡よ。 國じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
すると、鏡は、にまえとおなじに答えました。
「女王さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。 けれども、いくつも山こした、 七人のの家にいる白雪姫は、 まだ千ばいもうつくしい。」
と、このことを女王さまがきいたときには、からだじゅうのがいっぺんに、によってきたかと思うくらいおどろいてしまいました。白雪姫が、また生きかえったということを知ったからです。「だが、こんどこそは、おまえを、ほんとうにころしてしまうようなことをしてやるぞ。」そういって、じぶんの知っているをつかって、一つのをぬったをこしらえました。それから、女王さまは、みなりをかえ、まえとはべつなおばあさんのすがたになって、七つの山をこえ、七人の小人のところにいって、トントンと戸をたたいて、いいました。「よいがありますが、お買いになりませんか。」 白雪姫は、中からちょっと顔をだして、「さあ、あっちにいってちょうだい。だれも、ここにいれないことになっているんですから。」「でも、見るだけなら、かまわないでしょう。」 おばあさんはそういって、のついているを、から取りだし、手のひらにのせて高くさしあげてみせました。ところが、その櫛がばかに、白雪姫のお気にいりましたので、その方に気をとられて、思わず戸をあけてしまいました。そして、櫛を買うことがきまったときに、おばあさんは、「では、わたしが、ひとつ、いいぐあいにをといてあげましょう。」といいました。 かわいそうな白雪姫は、なんの気なしに、おばあさんのいうとおりにさせました。ところが、のが髪の毛のあいだにはいるかはいらないうちに、おそろしい毒が、姫のにしみこんだものですから、姫はそのばで気をうしなってたおれてしまいました。「いくら、おまえがきれいでも、こんどこそおしまいだろう。」と、心のまがった女は、きみのわるい笑いを浮かべながら、そこをでていってしまいました。 けれども、ちょうどいいぐあいに、すぐゆうがたになって、七人のがかえってきました。そして、白雪姫が、また死んだようになって、地べたにたおれているのを見て、すぐまま母のしわざと気づきました。それで、ほうぼう姫のからだをしらべてみますと、のが見つかりましたので、それをひきぬきますと、すぐに姫は息をふきかえしました。そして、きょうのことを、すっかり小人たちに話しました。小人たちは、白雪姫にむかってもういちど、よく用心して、けっしてだれがきても、戸をあけてはいけないと、ちゅういしました。 心のねじけた女王さまは、家にかえって、の前に立っていいました。
「鏡や、鏡、にかかっている鏡よ。 國じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
すると、鏡は、まえとおなじようにに答えました。
「女王さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。 けれども、いくつも山こした、 七人の小人の家にいる白雪姫は、 まだ千ばいもうつくしい。」
女王さまは、が、こういったのをきいたとき、あまりのだちに、からだじゅうをブルブルとふるわしてくやしがりました。「白雪姫のやつ、どうしたって、ころさないではおくものか。たとえ、わたしの命がなくなっても、そうしてやるのだ。」と、大きな聲でいいました。それからすぐ、女王さまは、まだだれもはいったことのない、はなれたひみつのへやにいって、そこで、の上に毒をぬった一つのリンゴをこさえました。そのリンゴは、見かけはいかにもうつくしくて、白いところに赤みをもっていて、一目見ると、だれでもかじりつきたくなるようにしてありました。けれども、その一きれでもたべようものなら、それこそ、たちどころに死んでしまうという、おそろしいリンゴでした。 さて、リンゴが、すっかりできあがりますと、顔を黒くぬって、百のおかみさんのふうをして、七つの山をこして、七人のの家へいきました。そして、戸をトントンとたたきますと、白雪姫が、からをだして、「七人の小人が、いけないといいましたから、わたしは、だれも中にいれるわけにはいきません。」といいました。「いいえ、はいらなくてもいいんですよ。わたしはね、いまリンゴをすててしまおうかと思っているところなので、おまえさんにも、ひとつあげようかと思ってね。」と、百の女はいいました。「いいえ、わたしはどんなものでも、人からもらってはいけないのよ。」と、白雪姫はことわりました。「おまえさんは、でもはいっていると思いなさるのかね。まあ、ごらんなさい。このとおり、二つに切って、半分はわたしがたべましょう。よくうれた赤い方を、おまえさんおあがりなさい。」といいました。 そのリンゴは、たいへんじょうずに、こしらえてありまして、赤い方のがわだけに、がはいっていました。白雪姫は、百姓のおかみさんが、さもうまそうにたべているのを見ますと、そのきれいなリンゴがほしくてたまらなくなりました。それで、ついなんの気なしに手をだして、のはいっている方の半分を受けとってしまいました。けれども、一かじり口にいれるかいれないうちに、バッタリとたおれ、そのまま息がたえてしまいました。すると、女王さまは、そのようすをおそろしい目つきでながめて、さもうれしそうに、大きな聲で笑いながら、「雪のように白く、のように赤く、こくたんのように黒いやつ、こんどこそは、たちだって、助けることはできまい。」といいました。そして、大いそぎで家にかえりますと、まずのところにかけつけてたずねました。
「鏡や、鏡、にかかっている鏡よ。 國じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
すると、とうとう鏡が答えました。
「女王さま、お國でいちばん、あなたがうつくしい。」
これで、女王さまの、ねたみぶかい心も、やっとしずめることができて、ほんとうにおちついた気もちになりました。 ゆうがたになって、小人たちは、家にかえってきましたが、さあたいへん、こんども、また白雪姫が、地べたにころがって、たおれているではありませんか。びっくりして、かけよってみれば、もう姫の口からは息一つすらしていません。かわいそうに死んで、もうひえきってしまっているのでした。小人たちは、お姫さまを、高いところにはこんでいって、なにかになるものはありはしないかと、さがしてみたり、ひもをといたり、の毛をすいたり、水や、お酒で、よくあらってみたりしましたが、なんの役にもたちませんでした。みんなでかわいがっていたこどもは、こうしてほんとうに死んでしまって、ふたたび生きかえりませんでした。 小人たちは、白雪姫のからだを、一つのの上にのせました。そして、七人の者が、のこらずそのまわりにすわって、三日三晩泣きくらしました。それから、姫をうずめようと思いましたが、なにしろ姫はまだ生きていたそのままで、いきいきと顔色も赤く、かわいらしく、きれいなものですから、小人たちは、「まあ見ろよ。これを、あのまっ黒い土の中に、うめることなんかできるものか。」そういって、外から中が見られるガラスのをつくり、その中に姫のからだをねかせ、その上にで白雪姫という名を書き、王さまのお姫さまであるということも、書きそえておきました。それから、みんなで、棺を山の上にはこびあげ、七人のうちのひとりが、いつでも、そのそばにいて番をすることになりました。すると、鳥や、けだものまでが、そこにやってきて、白雪姫のことを泣きかなしむのでした。いちばんはじめにきたのは、フクロウで、そのつぎがカラス、いちばんおしまいにハトがきました。 さて、白雪姫は、ながいながいあいだの中によこになっていましたが、そのからだは、すこしもかわらず、まるで眠っているようにしか見えませんでした。お姫さまは、まだ雪のように白く、のように赤く、こくたんのように黒いの毛をしていました。 すると、そのうち、ある日のこと、ひとりのが、森の中にまよいこんで、七人の小人の家にきて、一晩とまりました。王子は、ふと山の上にきて、ガラスの棺に目をとめました。近よってのぞきますと、じつにうつくしいうつくしい少女のからだがはいっています。しばらくわれをわすれて見とれていました王子は、棺の上に金文字で書いてあることばをよみ、すぐ小人たちに、「このを、わたしにゆずってくれませんか。そのかわりわたしは、なんでも、おまえさんたちのほしいと思うものをやるから。」といわれました。けれども、小人たちは、「たとえわたしたちは、世界じゅうのお金を、みんないただいても、こればかりはさしあげられません。」とお答えしました。「そうだ、これにかわるお禮なんぞあるもんじゃあない。だがわたしは、白雪姫を見ないでは、もう生きていられない。お禮なぞしないから、ただください。わたしの生きているあいだは、白雪姫をうやまい、きっとそまつにはしないから。」はおりいっておたのみになりました。 王子が、こんなにまでおっしゃるので、気だてのよい小人たちは、王子の心もちを、気のどくに思って、その棺をさしあげることにしました。王子は、それを、たちにめいじて、にかついではこばせました。ところが、まもなく、家來のひとりが、一本の木につまずきました。で、棺がゆれたひょうしに、白雪姫がかみ切ったのリンゴの一きれが、のどからとびだしたものです。すると、まもなく、お姫さまは目をパッチリ見ひらいて、のふたをもちあげて、起きあがってきました。そして元気づいて、「おやまあ、わたしは、どこにいるんでしょう。」といいました。それをきいた王子のよろこびはたとえようもありませんでした。「わたしのそばにいるんですよ。」といって、いままであったことをお話しになって、そのあとから、「わたしは、あなたが世界じゅうのなにものよりもかわいいのです。さあ、わたしのおとうさんのおへいっしょにいきましょう。そしてあなたは、わたしのおさんになってください。」といわれました。 そこで、白雪姫もしょうちして、王子といっしょにお城にいきました。そして、ふたりのごこんれいは、できるだけりっぱに、さかんにいわわれることになりました。 けれども、このおいわいのには、白雪姫のまま母である女王さまもまねかれることになりました。女王さまは、わかいが白雪姫だとは知りませんでした。女王さまはうつくしいをきてしまったときに、の前にいって、たずねました。
「鏡や、鏡、にかかっている鏡よ。 國じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
鏡は答えていいました。
「女王さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。 けれども、わかい女王さまは、千ばいもうつくしい。」
これをきいたわるい女王さまは、腹をたてまいことか、のろいのことばをつぎつぎにあびせかけました。そして、気になって気になって、どうしてよいか、わからないくらいでした。女王さまは、はじめのうちは、もうごこんれいのにはいくのをやめようかと思いましたけれども、それでも、じぶんででかけていって、そのわかい女王さまを見ないでは、とても、安心できませんでした。女王さまは、まねかれたごにはいりました。そして、ふと見れば、わかい女王になる人とは白雪姫ではありませんか。女王はおそろしさで、そこに立ちすくんだまま動くことができなくなりました。 けれども、そのときは、もう人々がまえからの火の上に、でつくったうわぐつをのせておきましたのが、まっ赤にやけてきましたので、それを火ばしでへやの中に持ってきて、わるい女王さまの前におきました。そして、むりやり女王さまに、そのまっ赤にやけたくつをはかせて、たおれて死ぬまでおどらせました。
【篇2】情書日文版
后來的日文版叫《未來へ》(給未來),歌詞:
ほら 足元(あしもと)を見(み)てごらん
これがあなたの歩(あゆ)む道(みち)
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未來(みらい)
母(はは)がくれたたくさんの優(やさ)しさ
愛を抱(いだ)いて步めと繰(く)り返(かえ)した
あの時(とき)はまだ幼(おさな)くて意味(いみ)など 知らない
そんな私の手を握(にぎ)り
一緒に步んできた
夢(ゆめ)はいつも空(そら)高くあるから
屆(とど)かなくて怖(こわ)いね だけど追(お)い 続(つづ)けるの
自分の物語(スト-リ-)だからこそ諦(あきら)めたくない
不安(ふあん)になると手を握(にぎ)り
一緒に歩んできた
repeat:その優しさを時には嫌(いや)がり
離(はな)れた母へ素直(すなお)になれず
羅馬拼音
Hora后來
ashimoto wo mi我總算學會了
tegora n如何去愛
kore ga可惜你 anata no早已遠去
ayumu michi消失在人海
hora后來
mae wo mitegoran終于在眼淚中明白
are ga有些人
anata no mira i一旦錯過就不再
haha ga槴子花
kuureta白花瓣
takusa n no ya sashisa落在我藍色百褶裙上
ai wo"愛你"
idaite你輕聲說
ayume to我低下頭
kurikae shita聞見一陣芬芳
ano toki wa mada那個永恒的夜晚
osanakute十七歲仲夏
imi nado shirana i你吻我的那個夜晚
so n na watashi no讓我往后的時光
te wo nigir i每當有感嘆
issho ni 總想起
ayundekita當天的星光
yume wa itsumo那時候的愛情
sora takaku a ru kara為什么就能那樣簡單
Todokanakute而又是為什么
Kowa i ne人年少時
dakedo oi tsu zukeru no一定要讓深愛的人受傷
jibur n no suto ori在這相似的深夜里
dakara koso你是否一樣
akira me takuna i也在靜靜追悔感傷
fuan ni naru to如果當時我們能不那么倔強
te wo ni giri
issho ni 現在也
ayundekita不那么遺憾
sono yasashisa wo你都如何回憶我
toki ni wa iyagari帶著笑或是很沉默
hanareta這些年來
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hora ashimoto wo mi tegora n
kore ga anata no ayumu michi
hora mae wo mitegora n
are ga anata no mira i
sono yasashisa wo
toki ni wa I yagari
hanareta haha e suna o ni narezu
hora ashimoto wo mi tegora n
kore ga anata no a yumu michi
hora mae wo mi
tegora n
a re ga a nata no mira i
hora ashimoto wo mitego
ra n
kore ga anata no a yumu michi
hora ma e wo mitegora n
are ga anata no mira i
mira i e mukatte 永遠不會再重來
yu u kuri to 有一個男孩
aruite yukou 愛著那個女孩
很愛很愛你
長い間待たせてごめんnagaiaidamatasetegomen讓你等了那么久真對不起i"m sorry that you waited for me for so longまた急に仕事が入ったmatakyuunishigotogahaitta我又突然有急事去工作了suddenly something important happened again so i had to go to workいつも一緒にいられなくてitsumoisshoniirarenakute我們一直不在一起we always can"t be together淋しい思いをさせたねsabishiiomoiwosasetane這使你覺得很寂寞吧you feel lonely don"t you逢えない時 受話器からきこえるaenaitoki juwakikarakikoeru無法見面的時候 能從電話里聽見when we can"t meet each other i can hear from the phone君の聲がかすれてるkiminokoegakasureteru你的聲音變得沙啞your voice is hoarse久しぶりに逢った時のhisashiburiniattatokino很久沒見之后的相逢long time no see and finally we meet each other君の笑顏が胸をさらっていくkiminoegaogamunewosaratteiku你的笑容總會充滿在我的心里your smile is always in my heart気づいたのあなたがこんなに 胸の中にいることkizuitanoanatagakonnani munenonakaniirukoto我覺察到了 你在我心里已經如此地重要i realised you are that important in my heart愛してる まさかねそんな事言えないaishiteru masakanesonnakotoienai想說我愛你 但這種話我說不出口i want to say that i love you but i couldn"tあなたのその言葉だけを信じてanatanosonokotobadakewoshinjite我只相信你說的那些話語i only believe what you says今日まで待っていた私kyoumadematteitawatashi一直等到現在的我i waited till now for so long笑顏だけは 忘れないようにegaodakewa wasurenaiyouni只是你的笑臉 似乎我就難以忘卻even only your smiling face i can never forgetあなたの側にいたいからanatanosobaniitaikara因為我想一直留在你身邊because i want to stay by your side笑ってるあなたの側では 素直になれるのwaratteruanatanosobadewa sunaoninareru在你的身邊微笑著 我覺得很自在i feel so comfortable when i smile beside you愛してる でもまさかねそんな事言えないaishiteru demomasakanesonnakotoienai想說我愛你 但這種話我說不出口i want to say that i love you but i couldn"t気づいたのあなたがこんなに 胸の中にいることkizuitanoanatagakonnani munenonakaniirukoto我覺察到了 你在我心里已經如此地重要i realised you are that important in my heart愛してる まさかねそんな事言えないaishiteru masakanesonnakotoienai想說我愛你 但這種話我說不出口i want to say that i love you but i couldn"t笑ってるあなたの側では 素直になれるのwaratteruanatanosobadewa sunaoninareru在你的身邊微笑著 我覺得很自在i feel so comfortable when i smile beside you愛してる でもまさかねそんな事言えないaishiteru demomasakanesonnakotoienai想說我愛你 但這種話我說不出口i want to say that i love you but i couldn"t気づいたのあなたがこんなに 胸の中にいることkizuitanoanatagakonnani munenonakaniirukoto我覺察到了 你在我心里已經如此地重要i realised you are that important in my heart愛してる まさかねそんな事言えないaishiteru masakanesonnakotoienai想說我愛你 但這種話我說不出口i want to say that i love you but i couldn"t笑ってるあなたの側では 素直になれるのwaratteruanatanosobadewa sunaoninareru在你的身邊微笑著 我覺得很自在i feel so comfortable when i smile beside you愛してる でもまさかねそんな事言えないaishiteru demomasakanesonnakotoienai想說我愛你 但這種話我說不出口i want to say that i love you but i couldn"t
【篇3】情書日文版
未來へ(向著未來 ) 詞曲:玉城千春 歌:kiroro ほら をてごらん これがあなたのむ
來看看你的腳下 這就是你要走的路 ほらをてごらん あれがあなたの 來看看你的未來 那就是你的未來がくれた たくさんのやさしさ 媽媽帶給了我那么多的溫暖をいてめとりした 她告訴我要擁有著愛前進 あのはまだくてなど知らない 那時候的我還年幼無知 そんなのをりにんできた 她拉著那樣的我的手 一起走到今天はいつもくあるから 夢想似乎總是在天空的遠方かなくていね だけどいけるの 很害怕我達不到 但我一直不停的追逐著のストーリー だからこそ あきらめたくない 因為是自己的故事 所以不想放棄になるとを握り にんできた 不安的時候她就握住了我的手 一起走到今天 そのやさしさをにはがり 那種溫柔親切 有時也會讓我討厭れたへになれず 離開了 我一定會聽媽媽的話 ほら をてごらん これがあなたのむ
來看看你的腳下 這就是你要走的路 ほらをてごらん あれがあなたの 來看看你的未來 那就是你的未來そのやさしさをにはがり 那種溫柔親切 有時也會讓我討厭れたへになれず 離開了 我一定會聽媽媽的話
ほら をてごらん これがあなたのむ
來看看你的腳下 這就是你要走的路 ほらをてごらん あれがあなたの 來看看你的未來 那就是你的未來
ほら をてごらん これがあなたのむ
來看看你的腳下 這就是你要走的路
ほらをてごらん あれがあなたの 來看看你的未來 那就是你的未來へかって ゆっくりといてゆこう 向著未來 一步一步地走去
For personal use only in study and research; not for commercial use
【篇4】情書日文版
結婚披露宴でのスピーチ
例1
結婚すると二人の共同生活が始まります。時々會うのではなくて、一日中、一年中、いや、これから末永く一緒に生活するわけですね。當たり前のことです。一緒にいれば、當然、會話があります。そこで昔の人は面白いことを言っています。まず、ニーチェ。
「結婚生活は長い會話である。」
その通り、晝も夜も會話です。おそらく、この世で一緒にいる時間が一番長いのは夫婦でしょう。
次に、アンドレ?モーロア。
「幸福な結婚というものは、婚約のときから死ぬまで、決して退屈しない長い會話のようなものだ。」
同じ意味ですが、ニーチェよりも具體的です。
ちょっと考えてみてください。これは大変なことですよ。戀愛時代は會っているだけで楽しく、會話がなくても退屈しないのです。子供ができ、大きくなり、學校、就職、そして結婚となると會話の回數も質も変わってくるでしょう。
幸福なときも悲運のときも常に希望をもって、お互いにいたわり合い助け合っていけば、どんな會話も退屈するどころか限りなく大切なものになると思います。
お互いに新しい魅力を見つけ常に新鮮であれば、どんなに「長い會話」でも決して退屈しないでしょうね。
例2
今日はおめでとう。
幸福な若いお二人の姿を眺めるのは、実にいいものです。お二人の目が、輝き、潤み、幸せに酔っているようなものが誠によくわかります。
ここで、そのお二人の眼を見ていて、私は、あるドイツの劇作家の言葉を思い出しました。それは、
「女は深く見る、男は遠くを見る」
という言葉です。
「女は近くを見る」ではなくて、「深く見る」です。
妻は、夫やわが子の心を深く読み取り、つかみ、操縦する天才です。これは女性のもって生まれた才能でしょう。
男は常に先ばかりを見ています。戀愛時代から、「この女性は、いつどういうふうに口説こうか」とか、「結婚後はどうしようか」とか、將來の設計を考えることが多いのです。ときには妻が、手綱を引き締めないと、遠くばかり見ている夫はつまずきます。
一方、女性も「深く見る」ことが得意でも、見ることに愛情がなければなりません。なぜなら「見えてしまう」ことも決して幸せなことではないからです。愛情があってこそ深く洞察することが生きてくるのです。
このことを心得て、お二人とも調和した家庭を作ってください。
例3
嫌な言葉ですが、「結婚は戀愛の墓場だ」という言葉があります。しかし、この言葉はこれとしてよいではないか、と私は思っています。
今日で、お二人の甘い甘い獨身時代は終わります。そして、もっともっと甘いハネームンが始まるのです。
「人生には、花も嵐もあるよ」とは、結婚式でよく言われる言葉ですが、私がお二人に言いたいのは「今までの戀愛は終わり」、そして、今度は「本當の愛情の誕生」ということです。「夫婦愛」です。本當の完成された意味での「男と女の愛の生活」がこれから始まるのです。
お互い人間ですから、いろいろなことがあるでしょう。「燃え上がる戀」に酔っているときには解決できない問題も、愛し合い、信じ合っている夫と妻の「愛」ならば、解決できるのです。お互いの真実の「愛」を確認できるのです。その意味で、今までの「戀」は終わったと言えましょう。
フランスの作家サン?テグジェペリがいいことを言っています。
「愛するーーそれはお互いに見つめ合うことではなくて、一緒に同じ方向を見つめることである。」これが「夫婦愛」です。
新しい愛のスタートを心からお祝いします。おめでとう。
例4
結婚についてのことわざやアドバイスはたくさんあります。多くは結婚に対する苦言や忠告で、こんな場所ではウッカリしゃべれない言葉ばかりですから、私も気をつけて話します。
ともかく結婚というものは、一つの區切りであり、同時に出発です。戀愛時代は「アバタもエクボ」だった二人も、これからは現実に目を見開いて歩まなければなりません。
そこで、いろいろなことわざが生まれるのです。失敗した連中、幻滅を感じた連中が、半分ひがんで言った言葉でしょう。
最近は女性上位の時代で、女性の言うことさえ聞いていれば世の中は平和だそうです。たしかに女性は、母としてよき教育者であり、妻としては夫のよき操縦者です。そうでなくてはいけません。
バルザックは、いいことを言っています。「女はよき夫を作る天才でなければならない」と。
まさに、夫を立派に育て上げるのも、だめにするのも、妻であるということでしょうか。そうなると、私が今日この狀態であるのは妻の責任ということになります。そうだと私も気が楽になったというべきでしょうか。
いずれにもせよ、妻はよき教育者にちがいないのです。
入社式でのスピーチ
例1
皆さんは、今日から新しい道を歩むことになります。今までも、まったく違った道のようでありながら、決して違った道ではありません。皆さんの、今までの「人生」の延長線上の道でもあります。
道の両側の風景は、今までとはガラリと変わるかもしれません。すれ違う人も今までとは違います。月並みな言葉で言えば、この道には、晝も夜も、晴天も、嵐もあるでしょう。
「これが人生なのだ」と、片づけてしまっては身もふたもありませんね。
作家の中島敦が、ドキッとするような言葉を言っています。
「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い」。
私は、この言葉をはじめて聞いたときに慌てました。「まだ、間に合うかな」と真剣に思いました。
「今まで、なんと多くの時間を無駄に過ごしてしまったのだろう」と。
とにかく、今の出発點からでも、皆さんの人生が長くなるか、短くなるか、改めて考えてください。それによって、一生のあいだに何を得るか、または何を失うかが決まります。
人生にとって、何事も遅いことはないのです。大切なのは新しい道を進もうとする決意です。
例2
アメリカのマーフィーという人は、経営上の名言といわれる言葉を數多く述べていますが、みんなごく當たり前のことを言っているのです。
「人生は、その人の心に思い描いたおとりのものだ。楽しいと思えば楽しくなり、苦しいと思えば苦しくなり、豊かになりたいと思えば豊かになり、貧しく考えれば貧しくなる」
と説き、日常、そう考える潛在意識で生活をコントロールできることを強調しています。
一種のマインド?コントロールですが、これを活用すれば効果があることもあります。
「會社は集団だが、その集団で成功するには、自分の考えが集団的であってはならない」
という言葉も、逆説的な言い方ですが、面白い心理を含んでいます。
獨創的で個性的なプラン、會社という集団にとらわれない考え方は、「會社人間」からは生まれてきません。
皆さんには、よい意味で「脫社會的」な、自由な発想を持ってもらいたい。そして、常に會社に活力を與える存在になっていただきたいと、思うのであります。
活躍を期待します。
例3
この不況の時代に、皆さんは、この會社を選んで受けられ、そして入社されました。いろいろな條件を考えての決斷であったでしょう。その決斷が正しかったかどうかは、これからの行動によって、あなた方一人ひとりが決めることであります。
かつての、日本経済の高度成長期は、各人の能力がフルに発揮された時代でした。
しかし、今はそうではありません。物事を著実に、正確にやり遂げなければならない時代です。
「平凡なことを、毎日平凡な気持ちで実行することが、すなわち非凡なのである」といったアンドレ?ジッドは、今日の経済社會を意識していたわけではないでしょうが、この言葉こそが、この経済界の「冬の時代」にぴったりしているようです。
バブルの夢を追った企業の結末は、ご承知のとおりです。
どうか皆さんは、新しい意識で、この時代を乗り切るための力を発揮してください。
私たちも、皆さんの期待を裏切らないように努力します。そのためには、皆さんの力が大きな役目を果たすことになるでしょう。期待しております。
例4
皆さんは、いよいよ社會人として今日から第一線で活動を開始されるわけですが、最近は學生時代からアルバイトなど社會の経済活動を経験されている方が多いので、新人としての心構えや教訓めいたことはお話しする必要はないでしょう。
ただ今後は、皆さんは「自分の懐」のためではなく社會人として働くので、お金に対する考え方がちょっと変わってくるかもしれません。イヤ、変わらなくては困ることもあります。
アメリカの政治家ベンジャミン?フランクリンは、金銭について現実的な名言を多く殘しています。
「金は良い召し使いでもあるが、悪い主人でもある」「ささいな出費を警戒せよ。小さな穴が大きな船を沈めるであろうから」「もし、諸君が金の価値を知りたいと思うならば、でかけていって、いくらか借金を申し込んでみたまえ」
説明は要らないでしょう。すべて金銭の価値、金銭に対する執著などを知り盡くしている人の言葉です。ここまで知るためには何度も何度も失敗や成功の経験があるはずです。
皆さんも、金についての経験――それが良くても悪くても――を恐れてはいけないし、甘く見てもいけないと思います。それが十分に生かされることを望んでいます。
朝禮?課會?部會でのスピーチ
例1
私たちが、社會人としても個人としても「信用があるかないか」「信用されているかどうか」というのは、人格の根本にかかわる大きな問題であります。
私たちは、第一印象で人を判斷することが往々にしてあります。
「直感は信用できる」というが、果たして一目見ただけで、その人のすべてがわかるでしょうか。
「一目ぼれ」で信用できるかどうかは、決してわかりません。あるいは一目見ただけで、ただ印象が悪いということだけで、信用できないと思うことも間違いです。
それではどうしたらいいか。
時間を掛けた「誠実」であります。損得を考えない「誠実」です。「誠実」こそ、相手の信用を得る、相手に信用を與える基本であります。
最も悪いのは、経済的な「駆け引き」で相手の信用を得ようとすることです。
古代ギリシアの政治家テミストクレスは,こんな言葉を殘しています。
「金で信用を作ろうと思うな。信用で金を作ろうと考えよ」
昔から、こういう手段で「信用」を勝ち得ようとした人がいて、また、それで手痛い失敗をしたことがあったのでしょう。
これこそ、事実に基づく教訓でありましょう。心すべきことです。
例2
人間の社會というものは、どこでも上下関係が存在しています。動物の世界なら、強いものが弱いものを力で押さえつけて優位に立ちますが、人間の社會でもこれに似た関係が多くあるのは、皆さんがご承知のとおりです。
ゴーリキーの有名な戯曲『どん底』の中の臺詞に、こういうのがあります。
「仕事が楽しみなら人生は娯楽だ。仕事が義務なら人生は地獄だ」
まさにそのとおり。
しかし、自分にできないことを他人に要求することがよくあるものです。とくに上司は、ときどき、いや始終かもしれませんが、「そんなことできるもんか」、というような、無理を承知の上で困難な仕事を命ずることがあります。
私もしばしば、そういうことをしたかもしれません。謝ります。
言われたほうは、「地獄」ですね。ただし、言われたほうは、その仕事を完遂したときに、「やった」という満足感?優越感に満たされることでしょう。
命令したほうは、自分ではできなかったかもしれない困難な仕事を、命じられた人が成し遂げたことに対して素直に感謝すべきです。
そこに、會社という集団が発展する、調和と信頼の基礎が確立されます。
例3
「失敗は成功の母」という言葉は有名ですが、これはずいぶん安易な言葉だと思いませんか。こんな気持ちで安易に失敗してもらったら、正直な話、社會は大変迷惑するのです。失敗は絶対してもらっては困るのです。
しかし、人間である以上、一生のうち失敗することは必ずあります。失敗は恐れてはならないのです。
作家?田宮虎彥の言葉に「青年の持つエネルギーは、傷つくことを恐れているようでは、何事もなし得ない」というのがあります。
人生のなかでは、闘わなければならないときがあります。そのとき傷つくのを恐れて逃げ回っていたら、何もできないでしょう。
しかし、負けることがわかりきっているのに闘うこともないのです。
五分五分なら、少し冷靜に考えて見ましょう。四分六分の勝負なら、傷ついても勝つかもしれない。
そういうときに、皆さんならどうしましょうか。
本當のエネルギー、勇気はそういうときに使うためにあるものです。頭を働かせたクレバーな闘いをしていただきたいと思います。
それが結局、勝利につながることは、いうまでもありません。
例4
皆さんは一ヵ月に何冊,本を読みますか.私の言っているのは週刊誌や漫畫本ではありません。ハードカバーの単行本です。
今は活字離れの時代といわれています。テレビ、ラジオ、マンガなど、いわば視覚や聴覚に直接訴えるメディアが多く、活字を見る、文章を読み取ることによって思案する時間があまりにも少ないように思います。仕事が忙しく、ものを考えたり、本を読んだりする時間が少なければ少ないほど、私は皆さんに読書を勧めたいのです。イギリスの文學者ゴールド?スミスは「良書を始めて読むときは新しい友たちを得たようである。前に精読した書物を読み直すときは舊友に會うのと似ている」といっています。読書にはそういう喜びがあります。
もっと大事なことを、アナトール?フランスが言っています。
「私が人生を知ったのは、人と接觸した結果である」
そのとおりだと思います。
良書によって、私たちは、まったく知ることのできなかった事実、出來事、教訓、人々に巡り會うことができます。仕事を通じて生身の人間に會うことも大きな勉強ですが、どうか忙しい仕事の合間に良書と接觸することをお勧めします。
定年退職者の送別會でのスピーチ
例1
長いあいだ、ご苦労様でした。そして、本當にありがとうございました。
大先輩に対して「送る言葉」などと大それたことは言えませんが、井上靖さんの言葉で、私の忘れることができない言葉がありますので、それを申し上げます。
「年齢というものには元來、意味はありませんよ。若い生活をしている者は若い。老いた生活をしている者は老いている」
こういう言葉なんです。
説明はいりません。「先輩の生活そのものである」といっても、おそらくこの席にいる人たちは、みんな納得するでしょう。
私たちはみんなお世辭ぬきでそう思っていました。
どうか今までどおり、若々しくお過ごしください。そして「會うたびに、先輩は若くなりますね」と、いつまでも言われるようにお過ごしください。
私たちもいつまでも若さを失いたくないと思っております。先輩を手本に生きてまいります。
お元気で。
○○○○○
○○○○○
例2
歳をとることを極端に嫌がる人がいます。男でも女でも、誰でも年寄りになるのを喜ぶ人はいないと思いますが、とくに女性は年をとって「しわ」が増えるのを嫌がりますね。しかし、これはさけれれない人間の運命です。
いつまでも若々しくて、ダンディーな人もいます。その若さがちっともいやらしくないんです。みっともなくないんです。○○さんもその一人だと、私はずーっと思っていました。とても定年などとは今でも信じられないくらいです。
さっきの「しわ」の話ではありませんが、有名なフランスの思想家モンテスキューが、こんなことを言っています。
「老年はわれわれの顔よりも心に多くのしわを刻む」
「心のしわ」は、誇るべきしわです。それを人生の英知を語っている「しわ」なのです。われわれは、その「しわ」の一つ一つに、大きな教訓と知識を學ぶのです。
○○さん。どうか顔の「しわ」と一緒に「心のしわ」をもっともっと増やしてください。そして私たちに貴重な経験を教えてくださるように、お願いいたします。
長いあいだ、ありがとうございました。
転勤者?退職者の送別會でのスピーチ
例1
「潮時」という言葉があります。釣りをするにも、結婚をするにも、決斷するときにも、必ず「時」があると思うのです。
私も、若いときから、その「潮時」を間違えては、何度も何度も失敗をしました。取り返しのつかない失敗も、ありました。
アリストテレスがうまいことを言っています。
「宴會からと同じように、人生にも飲みすぎもせず、喉が渇きもしないうちに立ち去ることが一番よい」
これは人生の「潮時」についての言葉ですが、どんなにおいしいものも、うまい酒も、過ぎると毒になることがあります。最もおいしいときに、サッと場所を変えて、別の食事や酒を楽しむのは賢明です。それは、人生を楽しくし、視野を広め才能を発揮できます。
仕事についても同じことでしょう。
だからこそ何よりもまず、本當に必要な場所で、自分の仕事が思い切りできるのではないでしょうか。
新しいところで、新しい職場で、期待されているあなたの才能を思う存分出してください。
みんなで、喜んで、拍手をもって、あなたをお送りします。
例2
○○さん。長年、お住みになったこの地を、たとえ數年間でも離れるということは、やはり寂しいものでしょう。
しかし、新しい土地の魅力もまた捨てがたいと思いますね。風光?人情など、またこの土地とは変わった珍しさ、美しさがあるのではないでしょうか。
どうか仕事もさることながら、そっちの魅力のほうも十分に楽しんできてください。
私たちが出張するときは泊めてください。今から予約しておきます。
冗談はさておき、ちょっと偉そうな顔をして、送別のことを述べさせてもらいます。
私の好きな山本周五郎の作品『ながい坂』の中にこういう言葉があります。
「人の人生は曲がり角だらけだ」
「なんだい。當たり前じゃないか」といわれれば、たしかにそのとおりです。
サラリといってのけたこの言葉の「重さ」。私は、「これぞ人生」と思います。
お互い曲がり角を曲がって露地を通ってまた巡り會う。面白いものです。
○○さん。今日のこの曲がり角で「しばらく、さようなら」と言いましょう。
そして、また、いつか、どこかの曲がり角で「やあ、今日は。」という日を楽しみにしています。
表彰式?授賞式でのスピーチ
例1
よく、ある人を指して、天才とか才人とかいうことがあります。しかし、厳密な意味で、本當の天才などそこら辺にいるわけがないのです。
大部分の人は普通の人で、いわば凡人というべきでしょう。
何かの賞をもらうということは、明らかに人より優れた才能の持ち主であるということです。私たちは、ここに一人の優れた才能を持つ友人を得たことを、心から幸いに思います。
アメリカの醫者でオスラーという人はこんなことを言っています。「二十五歳まで學べ、四十歳まで研究せよ、六十歳までに全うせよ」
自分の経験から得た「研究年齢」のことをいっているのかもしれません。
「二十歳にして重きを成すのは意志、三十歳にして機知、四十歳にして判斷」と説くのはフランクリンです。
いずれにせよ、年齢が人生に大きく影響し、生き方によっては、勉強の仕方によっては、大きく変わることを言っているようです。
あなたはまだお若いから、これからが楽しみです。上手に、そして賢明に、計畫的に年をとって、更に飛躍してください。
期待しています。
例2
賞というものは、どんなものでも、何度もらっても嬉しいものです。
とくにこの○○賞は特別で、そこにもここにもあるものではありません。それだけに私たちもとくにあなたが選ばれて受賞されたことが嬉しいのです。
詩人キーツが、このようなことを言っています。
「耳に聞こえるメロディーは美しい、だが聞こえないメロディーは更に美しい」
賞の対象になったものは、もちろんすばらしく優れて美しいのですが、それを生み出したものは、さらにさらに美しく輝いています。
人をして感得させる。この輝きは才能であり、知識でもあったのでしょう。それは私たちが手にとって見られるものではないかもしれません。
しかし、「聞こえるメロディー」としての作品をつくり上げた才能や知識にもまして、この受賞に値するのは、○○さんの人間性にあったのだ、と私は思います。
多くの人が、その「聞こえないメロディーを」を聞き取り、知ることになったことは、実に嬉しいことです。
心からお祝い申し上げます。
○○○○○
○○○○○
例3
おめでとうございます。あなたに、お祝いを申し上げるのはむしろ遅すぎたぐらいです。もっともっと早く、この機會があってもよかったと思っています。
ただ、ある言葉を思い出すと「ああ、これでよかったんだ。神様は、ちゃんと期待を考えてくださったんだな」と思います。
それはこういう言葉です。
「世の中のことは何でも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない」
これは、かのゲーテが言った言葉です。
何も望むことのない日々の連続ほど退屈なものはないでしょう。
いくらか逆説的な意味を持つこの言葉は、精神的にも絶えず満たされていることが決して本當の幸福ではないことを言っています。
ハングリーであるほうが、人間は幸せであるともいえます。
賞を得るのが遅かったあなたは、幸福な毎日を過ごすことができたわけです。
お祝い申し上げます。
○○○○○
○○○○○
告別式でのスピーチ
例1
人間は、必ずいつかは死にます。太古の昔から何億回となく繰り返されてきた悲しみなのに、死を前に私たちの悲しみは、決して薄らぐものではありません。人間の歴史の長さから考えれば、人の一生はほんとうに夢のようです。偉い僧侶の人たちが、人生のはかなさを何度も何度も説いているのが分かりながら、愛する人との別れは、常に苦しく、悲しいものです。
今私は、ここあなたの柩の前に立って、フローベールの一つの言葉を思い出しています。
「友人の死――それはあなたの中の何ものかが死んだことである」
そのとおりなのです。
今私は、私の人生でもっとも大切なものを失った悲しみを感じています。
ただ唯一の慰めは、皆さんの心の中にあなたの殘されたものが、脈々としてこれからも行き続いていく、と思えることです。
悲しみをこらえて、あなたの殘された數々の愛?教え?思い出を、私たちは決して忘れないでしょう。どうか見守っていてください。
さようなら。
○○○○○○
○○○○○○
例2
死という誰にでも訪れる厳粛な事実の前には、言うべき言葉がありません。死というものについて述べても、死後の世界について想像で話してみても、今深い悲しみの底にあるご遺族の方たちにとっては、何のたしにもならないのです。
ただ故人は、いまや肉體的にも精神的にも、すべての苦しみから完全に解放されていることだけは確かでしょう。それが、悲しみにある私たちの、たった一つの慰めです。いまここにギリシアの詩人アンティバネスの詩を捧げましょう。
「友を失うことを、あまり嘆かぬがよい。死んでしまうたわけでなく、我らもみんな、いずれは行かねばならぬ道を、一足先にいってしまうたにすぎぬのだから。やがては,我らも皆一緒に、同じ住みかに暮らし、仲よう時を過ごすようになるのだから」
いずれは愛する人たちと再會することができるという信仰は、私たちをいつも支えてくれます。私たちも皆、愛するものを失った経験を持っております。お互いに手を取り合ってまいりましょう。そうすれば、お互いの悲しみが少しは薄らぐと思います。
故人のご冥福と、ご家族のお悲しみが少しでも早く癒されますよう祈っております。
例3
このような席で何かを話すということは、私にとって非常に苦しいことであります。何を申し上げても、たとえようもなく空虛であり、悲しみであり、寂しさに満ちます。
しかし、何にもまして、最愛の方を失われたご遺族のお心は、私たちの何十倍?何百倍であるかを思うと、お慰めのすべを失います。
「泣くこと、嘆くことは、故人も決して望まない。早く立ち直ってください」
と、口で言うことは簡単ですが、そんなに、たやすく立ち直れるものではありません。
どうかお泣きください、思うまま悲しんでください、と申し上げます。
「朝の來ない夜はない」といいます。海の波は砕けても、また大きなうねりとなって打ち寄せてきます。
私たちは知ることのできない大きな力が、きっと皆さんを支えてくれます。人生も人間も、大きな「復元力」を持っています。
お慰めの言葉にならなかったかもしれませんが、私たち皆、ご遺族のことを考え、祈っております。故人も、もちろんでしょう。悲しみのあまり健康を損なわれないよう、それだけを案じております。
例4
こういうときには、どんな美しい言葉を並べ立てても、すべて語るほうも聞くほうも、うつろになります。
愛する者を失った悲しみというものは、言葉や慰めでいやされるものではありません。
ここに列席される皆さんのすべてがわかっていらっしゃること、そのうつろな言葉を、私はここでどう述べたらよいのでしょうか。
本當は、ただ黙って涙を流すだけで、たたずんでいたいのです。
「生まれて死ぬ。死ぬ生まれる。かくて人生は常に新しく、常に新鮮である。貴きものが死ねば、また貴きものが生まれる」とは、武者小路実篤の言葉ですが、何ものにも代えがたいあなたの死は、また、私たちにあなたの存在の大きさを、悲しくも教えてくれました。
いま、言うべき言葉を失っている私は、詩人?三好達治が、親友?梶井基次郎の死に際して贈った追悼詩の一節を捧げて、お別れの言葉にします。
「友よ、ああしばらくの別れだ、おっつけ僕から訪ねよう」
君よ、しばらくのあいだ、さようなら。
○○○○○○
○○○○○○




